本堂にお供えする「お鏡」(お餅)を今回、住職・坊守で初めて作ったのですが、これが色々と勉強になりました。自分の場合は子どもの時、当時の庫裏にあった釜戸でせいろを次々と蒸して昔ながらのやり方で作っており、手伝っていましたので自分はそのやり方を何となくですが覚えています。(当時、風呂も釜戸で焚いていました。見られたくないテストとかも釜戸で焼いていました…笑)
せいろのどの「段」にあるかによって蒸し上がる時間が異なることを踏まえて段取りをすることや、手でこねて冷めないように打ち付けたりして、うまく空気を抜いてお鏡の木枠に素早く入れていくことなど、なかなか熟練を要することだという感覚も何となく分かります。(やれる自信はありません)
ですが、自分の子どもたちはそういうのを全く知りません。これはやっぱり知っていた方が良いだろうと思い、何事も体験!と思いやってみることとしました。とはいえ、臼と杵で何臼もつくのは大変すぎるので、電動の餅つき器を買いました。餅をこねることは電動ですが、前日の晩からもち米を洗って長時間浸水させないといけないことや、直前は水切りをちゃんとして、そして一気に練って熱いうちに整形していくことなど、自分も再確認できましたし、子らも「なるほど…」と感じたかと思います。
久しぶりにもち米を炊いてからの餅つきをやってみて、昔の人はこんな手間なことをすごいなぁ、と再確認しました。何でも手を動かしてやってみないと大変さは分からないですね。
若者の間で「タイパ」という言葉がよく使われるそうです。この言葉は辞書や教科書などの出版社・三省堂が発表した「今年の新語 2022」で第1位となりました。「タイパ」とは、費やされた時間に対するパフォーマンス、効率の良さを指す言葉です。この「タイパ」が重視され、何でも便利さが求められる世の中になりました。ですが、あえて大変な方、しんどい方を選択することによってできる経験も多いのではないかと改めて思えた機会でした。(寺報2023年1月号より)