多くのお経の冒頭には「如是我聞(にょぜがもん)」という言葉が出てきます。これは「私はこのように聞きました」という意味で、お釈迦さまの教えをそのまま受け止め、弟子たちが後世に伝えたことを表しています。この言葉には、自分の考えや判断を挟まず、ただただ教えを受け入れる心が込められています。「仏説阿弥陀経」は浄土真宗でもよく上げられるお経ですので、耳にされた方も多いかも知れません。この「如是我聞」からお経が始まり、教えを聞く姿勢そのものの大切さが示されています。
”仏教詩人”として知られる坂村真民さんは詩の中で「もっとも美しい日本語は『はい』である」と語っています。この「はい」とは、ただの返事ではなく、相手や現実を素直に受け入れる心の表れです。特に、幼い子どもが「はい」と応じる姿には、計らいや打算のない無垢で純粋な美しさが宿っていると、坂村さんは感じました。
私たちは、知識を重ねたり経験を積む中で、ついプライドが高くなり、「はい」と素直に言えなくなることがあります。「自分の方が正しい」と思ったり、「間違いを認めたくない」「あの人に言われなくない」という気持ちが、知らず知らずのうちに他者の言葉や現実を受け入れるのを難しくしてしまうのかも知れません。知識や経験はもちろん大切ですが、「如是我聞」や「はい」という言葉には、そうしたプライドや偏見を超える力があるのではないでしょうか。
冒頭に日本人は年々不寛容になっているのではなないか、という話を出しました。「如是我聞」や「はい」には寛容な心を育むヒントがあるのかも知れません。