グリム童話の中の物語で、「しあわせなハンス」というお話があります。こんなお話です。

お屋数で長年の春公を終えたハンスは、ご主人から大きな金の増を報酬として受け取り、母の待つ故態へ帰る旅に出ます。しかしその金は重く、歩くたびに苦労します。そこへ馬に乗った男が現れ、「馬なら速く、楽に移動できるよ」と言います。ハンスは「重たい金を持つより、そのほうがよい」と考え、金を馬と交換します。
ところが馬は暴れて、危ない目に遭います。すると牛を連れた男が現れ、「牛ならおとなしく安全で、毎日ミルクも飲める」と言います。ハンスは「安心して暮らせるほうがよい」と思い、馬を牛と交換します。しかしは世話が大変なうえ、思うように乳も出ません。そこへ豚を連れた男が現れ、「豚は手間がかからず、太ればごちそうになる」と言います。ハンスは「それなら楽で楽しみもある」と約得し、牛を豚と交換します。
ところが今度は、「その豚は盗まれたものかも知れない」と不安をあおる人が現れます。その代わりにガチョウを差し出し、「ガチョウなら盗まれにくく、肉にも羽毛にもなる」と言います。ハンスは「心配のないほうがよい」と考え、豚をガチョウと交換します。しかし、ガチョウを抱えて歩くことも次第に煩わしくなります。そこへ砥石を持った男が現れ、「砥石があれば仕事ができ、暮らしていける」と言います。ハンスは「役に立つものが一番」と思い、ガチョウを延石と交換します。
ところがその砥石は非常に重く、川辺で足を滑らせた拍子に川底へ落としてしまいます。しかしハンスは落胆するどころか、「これで重たいものはすべてなくなった。なんと幸せなことだ」と心から喜びます。そして何も持たない身の軽さに満足し、晴れやかな気持ちで家へ帰っていきます。
この話、いかがでしょうか?永年語り継がれているだけあって、様々な解釈ができそうで深い話だと思います。この話でのポイントはハンスが交換する毎に、どんどん幸せになっているという点ですね。そして最終的には身も心も身軽になって、母の待つ故郷へ帰っていくというストーリーです。「わらしべ長者」とは逆のお話です。
私はこの話を聞いたとき、「人は死ぬときには何も持っていけない」という言葉を思い出しました。またこれは、人がそして命が「帰るべき所」に帰っていくという営みそのものではないか、という気がしました。色んな見方があるとは思いますが、仏法に照らしてこの話を捉え直した場合、どうでしょうか。私たちが大切だと思って握りしめているものが、果たして本当に大切なものなのか。目的地へと帰っていくその過程で、自分にとっての「本当に大切なもの」が問われていく物語とも言えるでしょう。