#015 歩み始め、そしてたどり着くこと
ある和上さまが講義の中でちょこっと言っておられたお話です。浄土真宗のお念仏はよく感謝のお念仏とか、報恩のお念仏とか言われますが、この感謝とか報恩って何でしょうか?というお話です。こんな例え話をしてくださいました。
例えば、JR京都駅まで行きたいけれども迷ってしまって道が分からない。近くを歩いていた人に道を尋ねたとします。その人は懇切丁寧に京都駅までの道のりを教えてくださった。その時、私がすべき感謝・報恩は何であろうか?
その人に、「ありがとうございます」と丁寧に伝えることも確かに感謝の証かも知れない。しかし、それは本当の感謝なのか?それで完結するのか? その方から受けたご恩に感謝し、報いることは、私自身が間違いなく言われたとおりに進み、京都駅にきちんとたどり着くことではないのか。いやもう、その一点に尽きるのではないか。
いくら誠意を込めてお礼の言葉を言っても自分が迷ったままであれば、何のために教えてもらったのか分かりません。教えた方も教えた意味がなかったことになります。教えてもらったとおりに歩んでみせて、きちんと目的地に着くこと、これが恩に報いることではないのか、というお示しです。
日常の中でも、また仏法の領域でも「感謝」という言葉はよく聞かれます。その受け止めを考えさせられるお話でした。