#020 他者の善意はどう受け取られるか ~「蛇は水を飲んで毒を作り、牛は水を飲んで乳を作る」~

こういう新聞記事があったと聞きました。2018年6月9日の読売新聞の投書欄に掲載されたものです。幼稚園の職員をしている女性が、仕事帰りに横断歩道で信号待ちをしていました。すると、すぐ目の前に小学1~2年生くらいの小さな子どもが、同じように信号待ちをしていたそうです。

 

そのときは少し薄暗くなりかけた時間帯で、学校帰りにし ては少し遅い時間でした。気になった女性は、その子にこう声をかけたそうです。
「大丈夫?車に気をつけて、おうちに帰ってね」すると、その女の子は突然知らない人に声をかけられて驚いたのか、防犯ブザーを鳴らし て一目散に走り去ってしまいました。投書の中でその女性は、「やっぱり、おせっかいだったのかもしれない」と反省の気持ちを綴っておられました。

 

こうした出来事は、実は少なくないのではないでしょうか。私も「ひょうご防災ネット」というアプリに登録していて、不審者情報などがあれば通知が届きます。他の自治体で、次のような事例が配信されたことがありました。

 

・強い雨が降り始めたとき、「この傘を使いな」と傘を差し出された(”不審者”の特徴:50~60代男性)

・寒い日に「寒くないの?どこの学校に行ってるの?」と声をかけられた(”不審者”の特徴:50~60代女性)

これらの事例をどう捉えるかは、人それぞれです。近隣で物騒なことが続いていたのかもしれませんし、保護者や先生から「知らない人には気をつけなさい」とよく言われていたのかもしれません。

 

そうした警戒心が事件や事故から身を守ることにつながるというのは、確かにその通りなのでしょう。けれども、善意で「気をつけてね」と声をかけたつもりの人にとって、防犯ブザーを鳴らされて逃げられてしまうというのは、やはりショックなことです。同じ出来事でも、それをどう受け取るかという「受け取り方の違い」が、大きな問題とし て浮かび上がってきます。

「大丈夫?車に気をつけて、おうちに帰ってね」と声をかけられて、「優しい人がいるんだな、自分のことを気にかけてくれてうれしいな」と感じるか、「えっ、知らないおばさんが話しかけてきた!きっと怪しい人だ!」と身構えるか……。

 

話は変わりますが、親鸞聖人と同じ承安3年(1173年)にお生まれになった 栂尾の明恵上人という方がいらっしゃいます。その方が好んだ言葉に、次のような一節があります。

「蛇は水を飲んで毒を作り、牛は水を飲んで乳を作る」

これは『華厳経』というお経にある言葉です。蛇も牛も同じように水を飲みますが、出てくるものは毒と乳でまったく異なります。同じ「水」を受け取っても、出てくるものは正反対なのです。

 

毒は人を傷つけるもの、乳は他者を養い育てるもの。同じ素材から全く違うものが生まれる、というたとえですね。言われてみれば、なるほどと頷けます。こうした話を聞くと、自分は「水を飲んで乳をつくる」ような人でありたいと願います。しかし、それは口で言うほど簡単なことではありません。どんなに心がけていても、疲れていたり、心に余裕がなかったりすると、つい「毒を作る」ような言動をしてしまうこともあるでしょう。