絶版になっている『信者めぐり(三田老人求道物語) 』という一風変わった本があります(大正11年の本) 。三田源七(さんた げんしち)さんという丹波の方が全国の有名なありがたいお同行(浄土真宗の信者さん)や僧侶方をまわって聞いてこられたお話が整理されている本です。その中の一番最初にあげられているエピソードを紹介します。

三田源七さんは13歳の時にお父さんを亡くされました。以後仏法を聞くようになりましたが、どうしても信心が得られません。19歳のある日「信心を得るまでは決して帰らない」と誓って、信心を得るための旅に出ます。
最初に訪れたのが、美濃のおゆきさんという女性でした。当地でお同行が集まる寄り合いに連日参加しましたが、内容が難しくてなかなか理解できなかったようです。数日後、源七さんは当地を去ることを決意します。その際、おゆきさんのご主人の弟さんにこう言われます。
「こないだ報恩講の日に猟師が鉄砲で鳥を撃っているのを見た。恐ろしいことだと思ったがそれが“本真物”であろう。アンタはどこまで行くか知らんが模様ほしさに行くのかのう、可愛そうに」
そして、おゆきさんからはこう言われます。「あなたはどこまで行くか知らないが、この後“これでいよいよ得たなあ”と思ったら、親鸞さまとお別れじゃと思いなされ。元の姿で戻ってこれたら”ご誓約”の通りだから、親鸞さまもお喜びだろう」
言われた源七さんは最初はよく理解できませんでした。しかし後ほど気づきます。最も大切な点です。阿弥陀仏の”救いのめあて”は誰であったのか、ということです。弟さんはお寺で報恩講があるにも関わらずお寺に参らず猟をしている人を恐ろしいことだと言っています。それは仏法に背を向けて生きている人を指すのだと思います。ただ、そのような人こそ、本当の救いの目当てとし て”本真物”という言葉でご自身を重ねて表現されたのでしょう。
私たちが何かを得て立派な何者かになったら救われる、そのような教えではないというお諭しです。何かを得ようと思っても得られない私、何者かになんてなれない”そのままの私”を救いの目当てとし ている仏さまがいるのだ。そし てそれが仏さまの誓願(=”ご誓約”)なのだから、そのお心をそのままいただくことが、仏様の願いに叶うことであるということを示してくださる一節でした。