下の写真、何かお分かりでしょうか?購読している『月刊住職』という雑誌があるのですが、その4月号の裏表紙に載っていた広告です。アライグマです。アライグマは気性が荒く、農作物を食い荒らしたりすることがあるので、いわゆる「害獣」としての扱いです。
これでもかと思えるほど、憎らしく見える写真を使ってますね(笑)。檻の中で獰猛(どうもう)な感じて吠えていて、すごく悪そうですね。そういう写真を使っているのだと思います。
これは広告ですから、これを見た人に「駆除しなければ!」という印象を抱かせないといけません。
一方、例えばアニメ『あらいぐまラスカル』では、「ラスカル」は人間とともに歩むペットですので、かわいらしく描かれています。同じアライグマという生き物ですが、こうも表現のされ方が異なるのかと思うと、ハッとしてしまいます。もちろん人間の見方・都合が、このような違いを生み出しています。
以前に同じような話を聞いたことがあります。「セイタカアワダチソウ」という外来種の雑草があるのですが、これがなかなか厄介モノと言われています。繁殖力も強くて油断すると一気にボーボーに茂ってしまう。ですが秋にかけて一斉に黄色い花を咲かせます。その様子を見て、「美しい」と言う人もいます。
また原産の北アメリカでは、この花はハーブとして利用されているそうです。肌にもやさしくアトピー性皮膚炎にも効果があるとも言われています。何に焦点を当てるかによって、人の目にどう映るかは変わってきます。
こうした事例を見るにつけ、否応なしに人間の“モノサシ”という存在に気づかされます。本来、アライグマはアライグマであり、セイタカアワダチソウはセイタカアワダチソウである、ただそれだけなのですが、我々の都合で“意味づけ”をします。人間にとって役に立つのか立たないのかを判断し、時に悪者を誕生させます。
「物事をあるがままに見る」などという、高尚なことはなかなかできそうには思えません。ですが、阿弥陀さまの智恵のもと、せめて「自分の見方には偏りがあるのでは」というブレーキのような思いをどこかに持つことが大切なのかな、と思えた機会でした。(2023年4月号寺報より)