#011 私たちの“拠(よ)り所”とは?~教育実習での思い出~

#011 私たちの“拠(よ)り所”とは?~教育実習での思い出~

もう随分前のことですが、大学生の時に高校に教育実習に行った際の話です。ある初老の英語の先生が、「体調が悪いから次の授業を替わってくれんか?内容はアンタに任す」と言ってこられました。今思えば勝手に替わって良かったのか、分からない事だらけなのですが(それが許された時代ですね)、「わかりました!」と伝え、急遽私が行くこととなりました。

 

その先生には「あのクラスは本当に無気力な子ばかりだ。もう勉強はいいから、生徒らがやる気になる話をしてやってくれないか」と言われました。うまくやれる自信はなかったのですが、道徳教材のプリントで見たことのある話をしました。内容は以下です。

 

小さなサーカス団にマジシャンの男がいました。その男は腕が良く、そのサーカス団の看板的な存在だった。それを知った大きなサーカス団の団長が来て、「ぜひ、ウチに移籍しないか?」とスカウトされた。そうすればもっと多くの観客の前で、その見事なマジックを見せられるぞ!そしてより広い世界に出られるぞ、もっと上を目指さないか?、という誘いです。

男は非常に迷いました。自分を育ててくれたサーカス団の仲間、いつも来てくれる常連さん、観客の子どもたちの顔や声援が目に浮かびました。自分がここから去ると、この大切な人達の期待を裏切ることになるのではないか?しかし、より大きな舞台に上がることは自分の成長に繋がる。男は悩みに悩んで、その結果…。

 

という話です。プロ野球選手のFA移籍みたいな話ですね。その話の続きはしませんでした。「君ならどうするか?」を問いかけることにしました。普段は無気力に見えるクラスでしたが、「何か、若いヤツが来たぞ!」という雰囲気になって、想像以上に”乗って”きてくれました。「どうする?」と順に聞いていくと、色んな意見が出ました。ただ、ある賢そうな子に「この話の内容だけでは判断できない」と言われてしまいました。

 

移籍することで、待遇や環境がどう変わるのかなど、ハッキリしないと判断はできない、と言われました。具体的に給料がいくら上がるのか?週何回ステージがあるのか(勤務時間)、休みはどれぐらいあるのか、住む所はどこか?等々…。

 

クラス全体の意見もそっちに引っ張られ、まとまる気配は一向にありません。結果的に「この話の材料だけで判断できない」という結論を突きつけられて、コテンパンにされた感じでした…(笑)。当たり前と言えば、当たり前かも知れませんね。今の若い子に同じ事を聞くと、当時よりもっと細かい突っ込みが入るかも知れません。リモートワークは可能か?、有給取得率はどうか、とか。

 

前提となる条件のツメが大切だということはよくわかるのですが、若いのに何だかなあ…という複雑な気持ちになったことを覚えています。もちろん損得をよく考えて、自分が絶対に損をしない条件を大切にします。そしてその条件も時と共に変わっていきます。当時は週休2日制が徐々に広がりつつある時代でした。今は「週休3日」もチラホラ聞きます。雇用や仕事に関わる環境も、人の意識も変わっています。世間や自分の常識は変化し、不確かなものです。その常識を大切な”拠り所”として握りしめて、我々は日々生きています。

 

親鸞聖人は阿弥陀如来を「畢竟依」(ひっきょうえ)と表現されました(『浄土和讃』)。究極的な拠(よ)り所、という意味です。私たちが普段、拠り所としていることは、自分の都合が優先され、時代と共に移り変わっていくものです。大切にしているものが、自然災害などで一気に吹っ飛ぶような大変な事が起こるかも知れません。

 

辛いことがあったり、健康を損なったり、想像もしないような苦境に立たされることもあるでしょう。私がどんな状態であってもご一緒くださるのが阿弥陀さまです。そのことを親鸞聖人はそのはたらきを「畢竟依」という言葉で表し、残してくださいました。