#009 「不思議」を味わう、受け止める
今年の夏、ある方の講演会で、主に北米で植生している「バンクス松」という植物の話を聞きました。このバンクス松は通常の環境下では発芽率が「0%」とのことなんですね。これは驚くべきことです。
本当に0%なら子孫が残らないじゃないか、という話です。ただ、発芽条件があって、それが「山火事」です。山火事の際は松ぼっくりの樹脂が高温で溶け、中の種子が開放されます。緊急事態のみ発動するという遺伝子上の?プログラムがなされているとのことです。
驚くべきことだと思いませんか?バンクス松がもし通常時に一斉に発芽したら、森林は過密状態になってしまいます。バンクス松は森林が焼け尽くされたその時、出番とばかりに発芽して、森林の生態系を保っているのです。
もう私たちでは考えられない不思議な領域ですね。普通は種として子孫を増やしていくようプログラムされているように思えるのですが、逆ですね。いざという”その時”のみに備え、他の命を生かしているということです。こういうことを目の当たりにすると、もう言葉がありません。不思議としか言いようがありません。
今、私たちの命がここにありますが、もちろん父と母あってのことです。そして父母にはさらに両親がいて、取り巻く人々との出会いの因縁や時代背景などがあって、今の私の命に繋がっています。無数の因縁が重なり合った上で、更にこうして仏法に触れていると考えると、不思議と言うよりむしろ奇跡と言えるのかも知れません。このような表現を聞いたことがあります。
「身の回りの不思議を残らず解明するのが科学。
身の回りのことすべてを不思議と捉えるのが仏法」
「これは有益」とか、「そうではない」などと自分で決めてそれに縛られるのではなく、不思議なままで受け止めておく領域を持てると、心のゆとりに繋がるのかも知れません。(寺報2023年12月号より)